第一回 作:蝮の平次

学生運動の嵐が一向に衰えを見せないまま、季節は夏を迎えた。
真紀子とはあの夜以来、週末必ずといっていいほど
例のジャズを聞かせてくれる店で顔を合わせるようになっていた。
といっても客同士で、というわけではない。
その店でアルバイトを始め、彼女が客として現れるというだけのことだ。

そして今夜もそろそろ彼女が現れる時間だ。
音楽に耳を傾けながら通りに目をやると、
数人の屈強な男達に囲まれた彼女の姿があった。
何か様子がおかしい・・・。











第二回 作:蝮の権蔵


私は視界の片隅にその光景を写しながらグラスを拭いていた。
何か話しこんでいるようだ。
曲が終わり、次のレコードを探しながらその様子をうかがった。
この位置からでは表情がよく見えない。
マスターに休憩時間をもらい、
裏口から出て彼らの見える位置に座りこんで煙草に火をつけた。

彼らに張り詰めた雰囲気は無いが、何か違和感を感じた。
彼女の顔に笑みがこぼれていたが目は笑っていなかった。
その瞳は遠くを見ているようだった。
一人の男が彼女の肩に手を伸ばし、そのまま歩いていこうとした。
彼女に抵抗する素振りは無いが、
このまま放っておいてはいけないような気がした。
煙草を壁に擦りつけ、通りへとゆっくり歩き出した。










第三回 作:蝮の平次


5m程の距離まで近づいた時、彼女が私に気づいた。
心なしか、安堵の表情が見てとれた。
瞬間、男達の気色ばんだ視線が私に突き刺さる。

「何だテメエは?」

不似合いな濃紺の服を着た小太りの男が吼える。
どうやらそのまま放っておかないで正解だったようだ。
張りつめた空気。皮膚がヒリヒリとする感覚に少し興奮を覚える。
前掛けを剥ぎ取りながら更に踏み出し、距離を詰めた。
それと同時にその張りつめていた空気が弾けた。










第四回 作:蝮の権蔵


「すみませんねぇ。こいつ酔っ払いなんです。」

横にいたいかにも太鼓持ちのような男が言った。
確かにだいぶ酔っているようだ。
よく見ると頭にネクタイを巻いていやがる。

「お前馬鹿か!?そんなカッコで凄んでも笑われるだけだぞ。」

呆れとそう言った。

「すみませ〜ん!酔ってま〜す!!」

馬鹿丸出しである・・・。

真紀子が私のそばに来て耳打ちした。

「この人、ママのお店によく来るんだけど、
接待三昧で何も仕事をしないグウタラ男なのよ。
口を開けば自慢話ばっかりだし人の話は聞かない。
常識が無くてムカツクのよネェ。」

彼女の緊張が解けていくのがわかった。

「でも、金払いはいいから文句は言えないのよ。」

坊ちゃん育ちで常識の無い小太りの男が
下品な笑い方をしながらこう言った。

「お前、この姉ちゃんの何だ?
こいつは俺の愛車でこれからドライブに行くんだぜ。
邪魔するな!」

小太りの男の目線の路地にうずくまっているクルマ・・・
何やらでかい4ドアのクルマだ。

最低の男・・・とても不愉快だ。
ニヤついている小太り男のに詰めより思い切り股間を蹴りつけた。
低い呻き声と共に膝をついた。
その男にこう吐き棄てるように言った。

「お、ちゃんと金玉付いているんだ。ちゃんと立つかい?」










第五回 作:蝮の平次


回りの男達は呆然と立ちつくしている。

相手が多いときほど、先制攻撃が有効であることは経験上判っていた。
相手が喧嘩慣れしていない場合は尚更だ。
無論、相手が集団のリーダー格かどうかを見極めるのも必要ではあるが。

股間を押さえつつ地面に這いつくばっていた小太りの男は、
怯えた目を向けながら言葉を発した。

「た、立つ様なものなんて、ワタシには乳首しかないわよ!」

インポか?・・・いや違う。・・・・オカマ!?

醜悪な変態を目の前にした嫌悪感で、
半殺しにしてやりたくなる衝動を押さえながら振り返ると、
妖しい輝きを放つ目で苦痛に歪む変態の表情を見つめつつ、
うすら笑いを浮かべた表情の真紀子がそこにいた。










第六回 作:蝮の権蔵


私の全身に粟が立った。
危険な、そして魅惑的な何かが彼女の瞳の奥に宿っていた。
私の心の奥で、その瞳に何かを感じたようだった。
気をそらした隙に背後から奴が覆い被さってきた。

「くっ・・・臭せえっ!!」

思わず気を失いそうな体臭。
まるでチーズの腐ったような臭いだ。
奴の体重と、その気を失いそうな臭いと押しつぶされて一瞬気を失いそうになった。

「でへへ・・・お仕置きだぁ〜。」

俺の耳元でそう言いながら首筋を舐めてきた。

「ひぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

思わず奴の顔に拳を叩きこんだが奴は微動だにしない。
やばい・・・やばすぎる・・・。
俺は女を本気で愛する前にその世界に連れていかれるのか・・・その時だった。

「いいかげんにおしっ!この汚い豚が!!」

真紀子が奴を踏みつけながら叫んでいるのが奴の肩越しに見えた。
街灯を背に男を踏みつけている真紀子。
その姿に、心の奥底に潜んでいる何かがゆっくりと蠢いた。










第七回 作:蝮の平次


朝。

昨夜の興奮状態が続いていたせいか、ほとんど寝付けないでいた。
冷蔵庫を開け、今月最後の食料を取り出す。
鍋に水を張り、それを放り込む。
ゆで卵。半熟は好みじゃない。
殻を剥く。綺麗に剥ける時と、ボロボロになってしまう時。
人間も同じだよ、と以前誰かが言っていたのを思い出した。
いつも昼過ぎまで寝ている私が、
朝の9時に起きなければならないのには理由があった。

AM9:00

オフィスビルの林立する一角の公衆電話ボックスで一枚の名刺を取り出した。
小太り男の名刺。身元を確認するため取りあげたものだった。
そこに書いてある電話番号に電話をかけた。

「どちらさまですか?」

「昨日、あんたと遊んでやったもんだが・・・」

「な、なんだよ。」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、出てこれるかな。」

「あんたに何も聞かれることなんかない!」

男は怯えつつも、会社にいるからなのか精一杯の虚勢を張っている。

「俺は今、あんたの会社のロビーから電話してるんだぜ。
出てこないんならこっちから出向いてやろうか?」

それからすぐに、迷惑そうでいて怯えたような顔で男は指定の場所に現れた。

「な、何を聞きたいんだ?」

「お前が知っている真紀子のこと全てさ。」










第八回 作:蝮の権蔵


「アイコ二つ。」

おしぼりで顔を拭きながら店員に声をかけた。
男はうつむき加減で沈黙したまま微動だにしない。
俺は何をしようとしているのか?
6月15日の国会構内突入の事件以来、デモには参加していなかった。
あの事件が私を冷静にさせたのだ。
真紀子も同じだった。
その話を彼女とした事は無い。
二人とも冷静に判断し、少しは大人になったのかもしれない。

引くこと。

それはカッコ悪いことじゃない。
引き際が肝心なのだ。
破滅に進むんでいるのに引き際を誤り引けなくなった人達を何人か見てきた。
これから社会に出れば嫌と言うほどそんなものを見るはずだ。
今の私はどうなんだろう。
彼女に深入りしていく自分を止めたい気持ちもあった。

「何をしたいんだ。」

男の言葉で我に返った。
私も彼女の何処まで立ち入りたいのか、何を知りたいのか分らなかった。
ただ漠然と彼女の奥底にある何かを覗いてみようと思っただけだ。

「彼女の本当の姿を知りたい。」

しばしの沈黙の後、男は言った。
「ママの店には行った事があるかい?
全ての答えはあそこにある。
通っていれば分るだろう。」

男は私の目を見つめながらそう言った。
これ以上は聞いてもムダなようだ。
彼の目にそう思わせる力があった。
問い詰めなければならない理由は無い。

「ありがとう。仕事の邪魔をして悪かった。」

勘定をテーブルにおいて席を立った。。
ただふんぞり返って金をもらっている奴にはちっぽけな金だろう。
しかし彼に払わせるたくはなかった。
豚野郎に借りは作りたくない。
表に出ると雲がのしかかってきた。
朝の天気予報では夕方から雨と言っていた。
蒸し暑い夜になりそうだ。






第一章 完





第二章へとつづく・・・